見て欲しいと思ってしまうことと、色々な記者さんがいること
テレビで性被害について放送されるとなると
加害者に観てほしいと思ってしまう
自分がどういうことしたのか知って反省してほしいそして苦しみ悩んでほしいと思ってしまう
アレは反省なんてしない生き物だと
頭ではよく分かっているはずなのに
私が求めている反応なんか得られることはないの
そうやってここに言葉にして
自分に言い聞かせている
連絡をとろうとする自分をなだめている
やめておけ、やめておけ、意味ないよ
それより前を向こうよ
NNNドキュメント
10月6日㈰25:10~
未成年の性被害①
なかったことにしたかった
10月13日㈰25:05~
未成年の性被害②
なかったことにできない
http://www.ntv.co.jp/document/
予告を見た感じ
自分は②の方で出てくると思う
記者さんたちは、
すごく丁寧に心に寄り添ってくれて
目を赤くしながら話を聞いてくれた
夫とこのことについて話すきっかけになり
彼が考えていたことが分かったのもよかった
ずっと丁寧に接してくれている
この取材に
すごく「救われた」感覚がある
心の中にある、ふだん誰にも見せられない部分を見せるから
その自分を
大切に扱ってもらえていると感じられると
記憶の中の私ごと救われる
そういう効果があるのだと思う(分析)
この人に聞いてもらえてよかった、
この人に伝えてもらえてよかったって
思えるような記者さんに
出会えたことは大きな幸運だと思う
ありがとうございました