ねこよりまるい | 性虐待サバイバー

性虐待サバイバーの体験記と日常。虐待から10年、元気に生きています。似た経験をされた方、他のことで辛い方、そうでない方とも繋がりたい。できる活動や勉強を少しずつ。

はじめに 自己紹介

はじめまして

来ていただきありがとうございます。

 

私は物心ついた頃から高校2年生になるまで、

約10年間、父親から性的虐待を受けていました。

 

2回ほど死のうとしたこともありましたが

周りの人に支えられて今は元気に生きています。

虐待から10年が経過した今

忘れようとしていた当時のことや、現在に至るまでのことを

書いてみようという気持ちになりました。

このままなかったことにしていて

いいのかなと疑問に思ったからです。

 

当時「自分だけがこんな目にあっている」と思い込んでいて

それがとても孤独で辛かったです。

今似たようなことで苦しんでいる人や

過去に苦しんでいた人に

「こんな人もいるんだ」って読んでいただけたらと思います。

私も自分におきた出来事を振り返ることで

これからをよりよく生きるヒントが見つかるかもしれないし

(見つからないかもしれないし)と考えています。

体験記を書いていて、途中で辛くなったり記憶がすっぽり抜けていたりして

なかなか進まないことがあります。

やっぱり少し違ったと思ったら、後日書き直しています。

 

虐待のブログは読んでいて気持ちの良いものではないと思います。

加えて拙い文章で申し訳ないのですが、

読んでいただけると嬉しいです。

同時に、出来る支援や虐待に関する勉強を始めました。

自助グループへ参加したりするようにもなりました。

そこで、性被害や虐待にあった方々が、何年何十年にもわたり、様々な心身の症状や生きづらさに今も苦しみながら戦っている現実を知りました。

被害の深刻さを知ってもらいたい、このような悲しいことが少しでも減って欲しいと、心から思います。


 

筆者について

 

20代後半。主婦。東海地方在住。

子ども時代、勉強や部活は一生懸命していたが

教室が苦手で人付き合いがとても下手だった。

虐待などの家庭の問題や経済的困窮などの要因が重なり

20歳のとき精神疾患にかかり大学を中退。

自殺願望が高まり成人式の写真を遺影にしようと考える始末。

 

数か月引き込もって休養したのち

通信制大学編入、働きながら単位を取って卒業。

教育や福祉を専攻し、養護教諭の免許を取得。

結婚して親から離れることで、人生が50倍楽しくなった。

今でも時々フラッシュバックでパニックになることがあるが、基本的に元気。

虐待問題、人権問題、教育や福祉の話題が気になるようになった。

何らかの形でかかわりたい思いがある。

できることを少しずつやっていく。

好きなこと:自然のきれいな場所に行くこと

社会情勢や経済の話題をチェックすること

読書(吉本ばなな、小川糸、村上春樹、など)

音楽(B'z、ミスチルスピッツ椎名林檎

苦手なこと:ご飯を3食きちんと食べること

 

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【19.3.13修正加筆】

 

▼ 体験記はこちらから

sakyuuu.hatenablog.com

 

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性加害者の視点を考える

※性加害者の視点について書きました。
人によって気分が悪くなる可能性があります。
無理なさらないようにお願いします。




犯罪心理学を専門とされている方とお話する機会があった。

性犯罪加害者に対して出所後の再犯を防ぐために
実際に働きかけをしている方だった。


加害者の視点について考えるのは初めて。


それまで加害者の視点を深く考えたことはなかった。
抱くのは「どうしてそんなことを」という怒り、嫌悪感、悲しみ、軽蔑…。

ずっと被害者側から視点を動かしたことがなかった。




以下は、刑務所内での性加害者の様子について
聞かせてもらった、そのメモ書きだ。



性加害者は認知の歪みを抱えていることが多い。

性差別的な認識だったり、
相手もそれを望んでいると思い込んでいたり。

その歪みをただす必要がある。
そして再び罪を犯さずに生活できるようになる必要がある。


そのための刑務所内で行うワークの一環に
罪を犯した当時のことを思い出して書き出す、というものがある。
当時の状況、その時の被害者の様子を書き出すそうだ。

しかし最初はなかなか書けない。


そして無理に向き合おうとすると具合が悪くなるらしい。

ノートに書き出そうとしても
ほんの数行しか書けず、苦しくなる。


ある日刑務官にそのノートを見られた。
その時「こんなことをしていて辛くないのか」と言われた。


その一言でその人は
犯した罪と向き合おうとしていることを、誰かに認めてもらえたと思えたそうだ。

以降、より罪と向き合えるようになり、治療が進んだ。




加害者にも段階がある。
どれだけ自分が犯した罪と向き合えているか、その段階は人それぞれだ。


段階によっては
「もっと被害者のことを考えて…」
と言われても辛くなって耳を塞いでしまう。
正論が受け入れられない。


犯した罪は許されないことだが
その罪と向き合おうとしていることを
誰かに受け止めてもらうことで
前に進めるようになる。


「加害者が治療を受けられるなんて」
という社会や被害者の声もある。


性加害者に対しては
社会も感情的になりやすい。
「極刑にすべし」「去勢するべき」
そんな声をよく耳にする。

叩くだけ叩いて
その後に関しては無関心な人が大半だ。

加害者も孤立する。


(私も性犯罪、虐待の事実を見聞きすると怒りや悲しみが湧いてくる。

泣き寝入りする被害者が多い中で
加害者は刑務所の中で治療を受けられるのか…
と腑に落ちない思いもある。)

だが

性加害者が必要な行程を経て
認知の歪みを正すことで


再犯率が低下するならば

それで新たな被害が1件でも減るならば


それは私にとっても救いになることだと思った。




帰宅後
山本潤さんのエッセイ

13歳、「私」をなくした私 [ 山本潤 ]

を読んでいると
加害者の心 という章があった。


なぜ加害者が加害に至ったのか
その背景を冷静に分析していた。

加害者のことを考えるのは
段階によっては余計に辛くなってしまうので危険だが

俯瞰的に加害者の生い立ちや性質を眺めて
加害に至った背景を分析することができると

それまで自分の中でヒトの形をしていなかった加害者
(どす黒く汚く軽蔑すべき存在、人間として認められなかった存在)が

ただの「歪んだ認知を抱えた弱くて小さな1人の人間」に
姿を変えるのかもしれない。




辛い時は
「どうして私にあんなことをした!?」
と、胸ぐらを掴んで問いただしてやりたい気持ちがあった。


しかし、本書にもあったが
「加害者はその答えを持っていない」のだ。
父も、ただ自分の無力感や劣等感を晴らすために性暴力を行っていたのかもしれない。




また、回復途中でそれまで言えなかったことを加害者に伝えたくなるのは自然なことで
そうやって加害者と向き合うことが回復につながることも分かった。

(私は夫にぶつけたり、送れないメールにしたためたり、時に本人にぶつけてしまったりしたが、
本人への接触はこちらが期待する反応が得られないことで傷を深める可能性があるので危険。この作業は専門家と一緒に取り組むのが望ましい。)



回復の道のりはそれぞれかもしれないが
こうして加害者と向き合うことで自分の中で止まっていた時間が動き出し、前に進めるようになる。




章の中で


「それまで、性加害をした男などみな男根を切り取って(地球にいると怖いから)宇宙のどこかの星に打ち上げてしまえと真剣に思っていた。
(略)
性犯罪加害者が有罪となり刑務所に行ったとしてもいずれ彼らは社会に帰ってくる。
そのとき、再び性加害行動をしない人間になってくれることが大事だと、今は思っている。」


とあった。

とても共感できる一節だった。

(この本は私のことが書いてあるの?と思うくらい共感の嵐だった。また紹介したい…)





色々書いたが
加害者の視点を考えた1日となった。

自分の中に新しい空気が入ってくる感覚だった。




認知の歪みはどのようにして起きるのか

考えていきたいし


性教育に携わりたい気持ちがまた強くなった。

サバイバーの里帰り問題

「そうですか、じゃあ子どもが生まれても里帰りしないということですね」


新婚当時、まだ子どもを産むことを考えていなかった時に

父親から言われた言葉。


親から離れて
閉じていた蓋が開いたように
親への不満が溢れ出てきて苦しくて
それをぶつけた時に言われた言葉でした。


「そんなことを言うなら、こっちも何もしてやらん、子どもが生まれるとなっても助けてやらん」


という意図で、発せられたこの言葉。


からしたら 「里帰りなんてするわけないでしょう (苦笑)」です。


というか、すると思ってたの?あの家に?… なんておめでたいの。



温度差、感覚のズレにポカンとなったのと


この、不満をぶつけられたら
「そんなこと言うなら、何もしてやらん」
と居直る態度は、昔から変わりません。


子どもの頃もよく言われました。


子どもの世話は親の務めという感覚ではなく
「してやってる」感覚。


(恩着せがましいので頼るのが嫌になり
なんでも自分で解決しなきゃと思うようになりました。
子どもを存分に甘えさせる親御さんを見ると、時々心がザワザワして落ち着かなくなります。)



里帰りすると思われていたことがなぜか気持ち悪くて(笑)
新婚当時のこのやり取りはよく覚えています。




前置きが長くなりましたが、

虐待サバイバーには「里帰り問題」があります。


自助グループでも話題になったことから
悩んでいる人が多い問題と感じました。


私には実家に里帰りをする、という選択肢はありませんが

産褥期は安静が必要な時期であることに変わりはなく。

どうしたものだろうか、と対策を考えています。


まぁでも、なんだかんだ便利な時代です。

買い物関係はネット通販や食品宅配で何とかなりそう。

・ イオンネットスーパー、コープ、Amazonプライム楽天
これらをフル活用すれば
食事の準備や日用品の購入はクリアできそう。


産前産後と出産時に利用できるタクシーも登録しました。


問題は家事。。あと育児

市内には、産前産後にシッターさんを格安で派遣してもらえるサービスがあるのですが、

利用者が多く、思うように来てもらえないそう。

ほぼ毎日来てもらう気でいたのであてが外れました。


こうなったら、

・ 夫に育休をとってもらう

・ 義母に来てもらう

・ 義実家で過ごさせてもらう


のどれかだろうか…

夫の育休は、一応聞くだけ聞いてみましたが
今の激務な部署では難しそう。
いつもより早く帰ることはできるらしい。


(日本の企業はもっと育休取得率の面でもがんばってほしいです。。)


義母に来てもらうのは
知らない土地で、勝手の違う家で、何週間も過ごしてもらうのが忍びないような気が。


1番いいのは、義実家でお世話になることだろうか?
夫婦の間ではそんなふうにまとまりました。
義実家にも相談してみます。

2人とも初めてで産後のイメージもわかないし
義両親に聞いてみないとです。


私たちは義実家を頼ることができますが、
それが出来ない人は、どうやって産後を乗り切るのだろう。

読んでくださった方の中で
アイディアがおありの方や、こうしてるんじゃないの?と考えが浮かぶ方がいましたら、ぜひ教えてください。

不妊治療の記録、その後

連休いかがお過ごしでしょうか。

引越し後、ずっと部屋づくりをしていましたが
そのゴールが見えてきてホッとしています。


つかれました。


あとは間取りに合わなくなった家具を買い取ってもらって、ほぼ完成です。





不妊治療の記録を書き終えました。


治療中にあったことや感じたことを
忘れないように、とまとめました。


幸い治療が実を結び
昨年の12月に陽性判定が出て今では7ヶ月に入り、

胎動も感じられるようになって
命を授かったことを喜べるようになってきました。


それでも「何かあったらどうしよう」という気持ちは抜けきれず
いろいろと買い揃えるのに及び腰になっていましたが

そんなことも言ってられなくなってきて
少しずつ買っています。

無事に産むまで不安はなくならないですが
少しでもこの時間を楽しみたいと思います。




また社会的に性被害の実態にスポットがあたり
取材の機会を何件かいただきました。


自分の過去と向き合ったり
社会の問題として見つめたりしていくなかで


もっと心理学や、犯罪について
また性教育のあり方など
学んだり何か出来ることをしたい気持ちがむくむく出てきました。

(加害者心理にも興味がわきました。)




今すぐ思い切り動くことはできませんが、

その時その時、出来ることをしたいです。

不妊治療⑳

 

sakyuuu.hatenablog.com

 

 

まさかの陽性判定

でも手放しで喜べないでいました。

 

1週間に1度の診察日を迎えるまで、

1日1日が1か月のように長く感じて、

生きた心地がしませんでした。

 

判定日の時点で妊娠4w3d(4週3日)

 

 

まずは1週間後

 

 

 

2018.12/19 

5w5d

 

診察台にあがる時は処刑台にあがるような気持ち。(暗すぎる!)

死刑宣告を待つような心地だった。

 

 

この日は、胎嚢(赤ちゃんが入っている袋)が確認できました…

 

とりあえずほっとした。

 

 

毎日でも日本製の妊娠検査薬を使いたくなる…

 

 

 

 

12/26  

6w5d

 

この日も、なぜかもう絶対ダメだとしか思えなかった。

 

けれど

心拍を確認できました。

赤ちゃんの心臓がピコピコ動いていました。

 

 

つわりの症状も出てきました。

 

 

 

 

2019.1/4  

8w0D

 

年が明けてなるはやの診察日でCLへ

 

吐き気が強く、いろんなにおいが辛い。

 

「つらいのは赤ちゃんが元気な証拠」とは限らないことを

知っているから、不安はそのままで、ただ辛い。

 

 

 

…赤ちゃん生きてました!

 

よかった……

 

 

 

そして、体調が悪かったため少し早いけれどこの日で

専門CL卒業になりました。

 

次回から一般の産婦人科へ移ります。

 

卒業といったら

「お世話になりました!」と涙と笑顔で

先生と握手したりするのをイメージしていましたが

 

「ダメだった時こっちで手術してもらえないのか

 

一般の産婦人科で手術することになったら

新生児や出産の様子が聞こえてくるかも…嫌だな。」

 

こんなことしか考えていませんでした。

 

ネガティブでしかなかったです。

 

 

 

 

母子手帳をもらってくるように言われたので、市役所へ。

 

 

市役所窓口の保健師さんは

「無事に生まれてくる前提」で話をされるから

変な感じがしてしまった。

 

もし流産になったら手帳は返しに来ないといけませんか?

(そうなったらまたダメージが…)とかそんなことしか(略

 

↑返さなくても良いと言われました。

 

 

 

 

1/11 

9w0d

 

一般の産婦人科

 

赤ちゃん無事でした。

大きさは20mmになっていました。

 

最初は発育が遅そう…と思っていたけど

週数相当の大きさに育ってくれている。

 

つわりもだいぶ辛い。

油断すると吐いてしまう。

 

空腹でも、食べても、気持ち悪くなる。吐き気がする。

食べられるものが日毎にころころ変わる。

ナポリタンなどトマト味のものばかり食べていた。

炊飯や冷蔵庫の匂いがダメで台所に立てなくなりました。

 

 

 

 

 

1/16 

9w5d

 

移植後から飲み続けていた薬と張り薬がこの日で終わりに。

 

エストラーナテープがない生活に

むしろ違和感を感じてしまうほどになっていました。

 

もうお絵描きはしなくなっていたけど、

貼っているのが当たり前になっていた。

 

あれだけ薬漬けにうんざりしていたのに

 

私の体から出るホルモンだけで大丈夫なのかな…? 心もとない…

 

 

でも

9wの壁をまず越えられたかな…

 

 

 

次は10w30mmの壁 

 

 

 

 

 

1/21 

10w3D

 

…生きてた!

 

手足バタバタさせていた!

 

大きさは32.9mm

30mmの壁を越えられた!!

 

出血や下腹部の違和感があったので

正直ダメかと思ったけど(毎回ダメだと思っているじゃないか 汗)

 

よかった…

 

 

 

 

そんなこんなで

 

 

 

12wの壁も越え

 

 

 

16w 安定期に入り

 

 

 

じわじわと、妊娠を喜べるようになってきました。

 

 

 

 

 

現在、24週、7か月に入りました。

 

 

 

 

 

 

NHKニュース 記事になりました

娘に性行為をはたらいた父親が無罪になった判決から1ヶ月が経ちました。


先日、NHKの取材を受けたのですが

その放送がテキスト化されました。

放送の反響も大きかったと教えていただきました。

よろしければご覧になってください。


https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190426/k10011897421000.html?utm_int=news_contents_netnewsup_001


自分のことを話すよりも

当時のメールやメモ書き、写真を見ることの方が

記憶が呼び起こされてしんどかったです。


性被害は目に見えませんが

被害にあった時だけではなく

その後長期間にわたって被害者を苦しめるものです。


自分の心の中の大切な神聖な部分を
土足でむちゃくちゃに踏み荒らされ
激しく侵害されて

絶望して
1人呆然と荒れ果てたそこに座り込んでいた

そこからの生きづらさったら。


生きづらさの中でもがきながら
生きることに必死にしがみついて


幸運にも
手を差し伸べてくれる人がいたおかげで
少しずつ自分の人生を取り戻す感覚がつかめて
今日に至る。




傷がなくなるということはないと思います。
おそらく一生付き合っていくことだろうなと思っています。

「過去のことは忘れて今を楽しく生きたら」と
言われます。そう言いたくなる人の気持ちもわかる。

しかし、過去の延長に今の私があるので。
あれはもう、私の一部というか。

あまりに衝撃的だったその出来事は
折に触れて今の私にも影響を与え続けていくのだと思います。良くも悪くも。


(たとえば、
当時の父と体格の似ている男性を怖く感じたり
父親の考え方に近い人や
誰かの性差別的な言動に対して強い嫌悪感を抱いたり、とか。)


日々、元気に生活できていますが、
性虐待の影響がチラつくことはあります。


被害にあった人それぞれが困難を抱えていること、

その被害の実態が、知られてほしいです。

そして、法律が変わってほしいです。


罪を犯した人は罪を償い

傷ついた人が適切な支援を受け、
自分の人生を取り戻すことができる
そんな世の中になりますように。


NHK
裁判官に知ってほしい 私が父の性暴力に抵抗できなかった理由
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190426/k10011897421000.html?utm_int=news_contents_netnewsup_001

不妊治療⑲ 5回目の判定

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5回目の判定日を迎える前に


久しぶりに家でフライング検査をしました。


グレードの良い卵だったので、
もしかしたら… と期待する心と


いや、やっぱりダメだよ…という
ネガティブな気持ちが混ざりあって苦しかったので。





ドラッグストアで売っている日本製の検査薬は高いので、そんなに何本も使えません。



中国製の、早期妊娠検査薬をネットで購入して使っていました。



結果は… 陽性の線が見えるような、見えないような (またかい)



はっきり言って、見えない。。



それで、、気持ちが折れてしまいました。




これで移植できるのはあと1回。


あと1回で妊娠できると思えない。



できたとしても、貯卵がなくなる。



2人目の治療のことを考えると
卵がなくなる前に採卵して卵のストックをつくっておいた方が良いのかな?


採卵方法も見直した方が良いんじゃないか?

方法を変えたら、卵の質がよくなるかもしれない。。

そもそもここのCLの方針は私たちに合っているのか?

別のアプローチをするCLも検討した方がよいのか?



…上手くいかなすぎて、これまでは猪突猛進だったのに

自信が持てなくなり

考えすぎて何が良いのやら分からなくなって

頭の中がグルグルしていました。






先生に相談することを考えて、メモをつくりました。







12/10 判定日


診察室


先生「家で検査した?」


私「ぁ…はい。。」



先生「おめでとう!陽性反応出てるよ!!」



私「え?…え、えーーー!??」




まさかの陽性でした。


いやいやいや

ホントのこと言ってる?

他の人のと間違えてない?

あ、ごめんこれ違う人のだったって言うんじゃない?(そんな訳ない) と



にわかに信じられませんでした。




確かに陽性反応が出ていました。


少し薄いですが、線が見えました。




喜ばしいことなのですが、、、


もうまったく上手くいくイメージが出来なくなっていた私は



線が薄いよ、hCG値低いんじゃないの。
(ある程度高いほど良い)


どうせまたダメになってしまうのではないか。


それなら、最初からダメと言ってほしい。


持ち上げられて突き落とされる方が辛いんだよ…





こんなことしか思えませんでした。



妊娠を継続できるイメージは

まるで持てませんでした。




とりあえずまた1週間ごとに

赤ちゃんの様子を見守ることになりました。




※ フライング検査で陰性だったのは
フライングが早すぎた為だと思います。








.

不妊治療⑱ 移植5回目

 

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毎回、判定日の時に

先生は

「続けて移植することもできますが、休むこともできます。どうしますか?」

 

と聞いてくれました。

 

一旦治療を休む選択肢もあったと思います。

 


この3周期

陰性続きで気持ちが滅入っていました。

 

しかし、休むことも私にとって勇気のいることでした。

 

1ヶ月間、前に進めない状態で、その間一体どんな気持ちで過ごせば良いの?

 

それを考えると恐ろしくて「何かしていた方がマシ」でした。

 

だからお休み期間は設けませんでした。

 

 

現状から、とにかく早く抜け出したかった。

 

出口の見えない真っ暗なトンネルを、

がむしゃらに突き進んでいるような感覚でした。

 

 

 

 (沼だったりトンネルだったり… 笑 )

 

 

11/3  D2 

5回目の移植周期

 

今周期は薬が増えました。

子宮内を低酸素状態に保つ
ペントキシフィリンシナール

血流もよくなるらしい。

 

少しでも確率を上げるためにと、勧められました。

 


ただこの薬、副作用が多いです… 

むかむか吐き気がして、倦怠感、
頭痛、下痢、胃がずっと不快な感じ…


判定まで飲み続けるのが憂鬱でした。

 

 

憂鬱すぎて、1度ブログでも紹介しています(笑) ↓

 

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こんな辛くなるの飲んでもなぁ!

卵の質が良くなかったらなぁ!

意味がないんだよ!なぁ!

酔っ払いみたい…

ヤケになりながら飲みました。

 

 

 

11/12  D11

 

副作用はだいぶマシになってきました。

 

飲み続けることで体に出る副作用の程度も変わってくるらしい。

 

 

よかった〜

 

 

 

 

11/26 移植 

 

5回目です。

 


初めての移植のときはね、

戦地に送り出される軍人さんの気持ちでした。

 

 

駅のホーム(Twitterのタイムライン)で

バンザーイバンザーイ!と送り出されて

行って参ります!!(`・ω・´)キリッ て感じ。

 

 


今ではすっかり

ベルトコンベアに乗った ”ぐでたま” です。

 

「ぁ〜〜… 好きにしてくれ…」って感じです。

 

 

 

 

胚の説明を受けます。

 

ぐでたま でもこの瞬間は緊張する。。

 

 

卵4つ融解し

1つは壊れ、1つは分解せず。

 

 


もう前半聞いて絶望。真っ青です。

 

 

 

 


でも残り2つが、

 

8Eと6Aでした。

 

 


Aの卵、とってもキレイだった。

 


コーディネーターさんが

コソッと「次こそ上手くいくといいね」と言ってくれて

 

 

また泣いてしまいました。