虐待、その後⑤ ~私の家と宗教(後)~
再び休養の日々
どっちにしても迷惑をかけるならと生きることにした私は
再び完全休養を決め込み、ただ息をするだけの生活を続けました。
当初は階段を上ることができないくらい衰弱していて、這って上がっていました。
少し動くだけで息が切れました。
身体機能がどこか悪いわけではないのに、体が動かなくなるのって不思議だなと思います。
基本的に動けなくてひたすら寝ていました。
動けるようになってから、少し前に知り合いに教えてもらった心療内科の先生にかかりました。
ここでは私の生い立ちから今までのすべての出来事を話すことになりました。
自分の心の内を言葉にするのが苦手で、話せるまでに結構な回数がかかりました。
虐待のことを全部話すのは抵抗があったし、
話すと涙が出たり不安定になったりするので一区切り話し終わるまでに相当な時間と労力を要しました。
診察後はグッタリと疲れて、もう通うの嫌だ…と思うこともありました。
先生に対しても「この人こんな話聞きたくないんじゃないかな、忙しくて疲れてないかな、迷惑じゃないかな」と考えたりしてしまいました。
それでも先生は毎回たっぷり時間をとって、じっくり聞いてくれたので、
虐待のこと、親のこと、宗教のこと、少しずつですが、すべて話すことができました。
それでちょっとずつ気持ちを持ち直してきました。
親の宗教活動
そのあと待っていたのは両親との闘いでした。
両親は、宗教活動最優先の生活を送っていました。彼らは家族よりも何よりも宗教が一番大事な人たちでした。
家のこともせずに、田んぼや村の奉仕作業などはすべて激務な兄に任せて
朝から晩まで宗教活動のことで頭がいっぱいでした。
そのことで兄が不満を口にすると
「何かを犠牲にしなくてはいけないんだ(キリッ)」とか言っていました。
なに良い感じな風に言ってるの (笑)
両親は必死で私を団体に引き戻そうとしました。
やめたら私の運命は終わりだと思っていたからです。
団体では人をお誘いするのはすばらしい善だと言われていたので、
彼らも良かれと思って、こちらの気持ちを一切無視して誘ってきました。
やめてと言っても聞く耳をもちませんでした。
信仰や信条というデリケートな部分に、土足で踏み込んできて好き勝手言ってくる彼らの言葉が苦痛でした。
2年ほど経つ頃、私が言う事を聞かないと悟ると
兄に「あいつは迷っていった、もうあいつと関わるな」と
私との関わりを絶つように求めてきたそうです。
人生をやりなおす
私は、どうせ生きるなら、一度死んだつもりで生きようと思いました。
もう誰の言いなりにもならない、好きに生きよう。
親が決めた望ましい生き方、地元に残った安定的な生き方、
そんな敷かれたレール全部とっぱらって
親の刷り込みに囚われていた過去の自分とも決別して、
これまでの人生ぜんぶ捨ててなかったことにして、好きな所で好きに生きてやる。
その結果がどうなったっていい。
体調はまだ本調子ではありませんでしたが
失うものがないからか怖いものがなく
吹っ切れたというか、少し投げやりというか、開き直った気持ちで
新しい人生が始まったような感覚でした。