虐待、その後④ ~私の家と宗教(前)~
【本当に死のうと思った時の話というか記録です】
きっかけは所属していた宗教団体のことが信じられなくなったことでした。宗教のことは書こうか迷いましたが、(多分)今回だけ書くことにしました。今はもう元気なので、思い出せる範囲でフランクな気持ちで書いています。虐待のことは書いていて重い気持ちになりますが、これは過去に元気がなかっただけの話なので、今は思い出しても辛くはなりません。「この人こんなことあったんだ」って軽い感覚で読んでください。
宗教と私
私は、25歳までとある仏教系の宗教団体にどっぷりはまっていました。
というのも、両親がその団体で出会って結婚したので、物心ついた時からその団体の活動がいつも日常の中にありました。
子どもの頃から宗教の英才教育を受け、まじめに「先生のお話」を聞いて育ちました。
私は、団体の周りの大人たちに可愛がられ、将来を期待されていました。
私自身も、先生のお話は素晴らしい教えだと思っていました。
団体の中には、私の中でひそかに「お母さんのような存在」や「お父さんのような存在」と思っていた人もいました。
その人たちは、実際の両親よりも温かくて、私のことを大事に思ってくれていると感じました。
そこでは同世代のたくさんの友達もできました。
みんなのことが大好きで、月に一回みんなに会えるのが楽しみでした。
そこは生まれた時から過ごした場所で
私を可愛がってくれる人、好きでいてくれる人、褒めてくれる人が沢山いる、私の大切な居場所でした。
活動は大変でしたが、精神的に辛くなった時も団体が心の拠り所でした。
私は、通信制の大学を卒業後、この宗教団体の職員になりました。親も宗教活動に熱心だったので許してくれました。
信じられなくなる
しかし、職員として中に入ってみると組織の実態は、言っていることとやっていることが矛盾していました。一つおかしいと思うとあれもこれもおかしいと目について
詳しくは書きませんが、ほどなくして「なんだこれは、ここにいてもダメだ」と強烈に思ってしまいました。夢から覚めたように、団体のことがまったく信じられなくなりました。
困ったことに、この団体は「先生が信じられなくなった」「違う先生の話を聞く」ということが絶対に許されませんでした。そんなことを言おうものなら要注意人物だと警戒されて、怒りの感情を向けられます。それまでどんなに仲良くしていた人でも、今まで通りの関係ではいられなくなってしまいます。
実際、その時信頼していた子に「この団体のことが信じられなくなって辛い」と打ち明けたところ「そんなさきは受け入れられない」と言われました。
生まれたころから聞いてきた、私の人生の指針になっていたお話が信じられなくなってしまいました。
また、この団体を去ることは、大切な人間関係のほぼすべてを失うということでした。
もう「おわった」と思いました。
でも信じられないまま居続けることもできませんでした。
親よりも親のように慕っていた、可愛がってくれた人たちに「あの子は迷っていった」と失望される未来が見えて、それが本当に悲しくて
「あ…生きていけない」と思いました。
自殺計画
今回こそ、もう生きるのは無理だと思いました。
起きているときはずっとスマホで死に方を調べていました。
最初に調べたのは首を吊る用の縄でした。
色んな死に方や必要な物を調べました。
そして「醜くなるのも苦しいのも嫌だしやっぱり練炭かしら」と見定めました。
ネット通販で練炭と七輪の価格を調べて、〇月頃、車で○○に行ってこれを使ってこういう手順で死のう…と計画を立てました。
計画を立て終わると「これでいつでも死ねる」と、気持ちが楽になりました。
迷惑をかけたくない
次に、自分が死んだ後に親族や警察やらがとるであろう行動を想像しました。
私は死んだ後の色々な処理に際して、人に迷惑をかけるのがどうしても嫌でした。
そこで「迷惑をかけない死に方」を延々と調べました。が、
結論は「そんなものない」でした。
首をつっても、電車に飛び込んでも、飛び降りても、練炭でも、
どんな死に方をしてもどうしても人にけっこうな迷惑をかけることになります。
薬ならと思ったけれど薬の入手方法が分からないしお金がありません。
ここまできて、ものすごく悩みました。
死んだ後の迷惑まで考えるなんておかしい話ですが、たとえ死んだ後であっても、人から「迷惑な奴だ」と思われるのが耐えられなかったようです。
死んでも迷惑、生きてても迷惑、死んでも迷惑、生きてても迷惑…
どうしよう、どうしよう…と結構な期間真剣に悩みました。
そして、
死んでも生きても、どっちにしても迷惑をかけるなら………
死んだつもりでもう少し生きてみるか…というところに落ち着いたのです。
後半につづきます