ねこよりまるい | 性虐待サバイバー

性虐待サバイバーの体験記と日常。虐待から10年、元気に生きています。似た経験をされた方、他のことで辛い方、そうでない方とも繋がりたい。できる活動や勉強を少しずつ。

虐待体験記⑤ ~家を出る~

【高校生②】

 

高校生の時、家のパソコン内のやり取りから父の不倫が発覚しました。

父は出会い系サイトに登録し女性とホテルで会っていました。

「綺麗で美しい、貴女とS○Xができてお金が貰えるなんて最高ですね」

こんなメールのやり取りを母と兄と一緒に読みました。

 

その後相手には騙されて、祖父の遺産をつぎ込んだ挙句に多額の借金を作っていたことも分かりました。

 

また、外でも父と同じような世代の男性から

通学中に痴漢にあったり、盗撮されたりすることが何度かありました。

 

自分の欲求を抑えられない男性が気持ち悪くて、特に中年男性に対して不信感をもつようになりました。

 

 

私は、結局児相への相談に一歩踏み出せませんでした。

しかし父への嫌悪感は大きくなり

父を殺すことを考えるようになりました。

 

台所から包丁を取り出して寝ている父の喉元を刺す場面を何度も思い描きました。

想像の中で何度も何度もめった刺しにしました。

しかし実行することができません。

 

殺せないなら、私が死にたい。

 

こんなことを考えているうちに

朝起きられなくて遅刻が増えたり

常に何か食べていないと落ち着かなくなったりしました。

 

普段は普通に生活できるのですが

何かの拍子に1週間とか、そのくらいの期間

気持ちがひどく落ち込んで体が言うことを聞かなくなることがありました。

感情のセーブができなくなり、どんどん不安定になっていきました。


父は立場が上なことを利用して、夜な夜な無抵抗の私を欲求のはけ口にしている

そんな人間に昼間は父親のような顔をされることも

でもそんな人間に頼らなければ生きていけないことも

我慢できなくて


ある日、これ以上この家にいれない、と思い

家に誰もいない時を見計らい

旅行用カバンに荷物を詰めて家を飛び出しました。

 

自転車で1時間のところに住む祖母の家に逃げて

「おばあちゃん、私をここに置いてください」

と頼みました。

 

祖母は決して面倒見の良いタイプの人ではありませんでしたが、

訳を聞かずに私を受け入れてくれました。

 

後から母にも了承してもらい

荷物を運んで、祖母との暮らしが始まりました。

(後から知ったことですが、この少し前に母が祖母に私を預かってくれないか打診していたそうです。

なので「助けてくれなかった」と私が母をなじると、母は「私はできることはした」と誇らしげな態度をとるのでした。

私は父を断罪し、離婚するか追い出すかして欲しかったのに。

なぜ私が家から出なきゃいけなかったの?と思いました。

自信満々の母の態度は、私の心をモヤっとさせました。)

 

ゆっくり入浴でき、寝ている時に誰も部屋に入ってこない生活はとても快適で

今まで毎日大きなストレスを受けていたことがあらためて分かりました。

 

その日を境に父の行為に苦しむことはなくなりました。

 

でもこれですべてが終わった訳ではありませんでした。

 

 


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