ねこよりまるい | 性虐待サバイバー

性虐待サバイバーの体験記と日常。虐待から10年、元気に生きています。似た経験をされた方、他のことで辛い方、そうでない方とも繋がりたい。できる活動や勉強を少しずつ。

虐待体験記③ ~虐待を受け入れてしまった葛藤~

【中学生】




小学校の頃から友達付き合いがとても下手で
自己肯定感が低かった私は、せめて勉強だけでも
と、勉強を一生懸命頑張りました。


親が学校の成績を重視していた影響もあり
満点の答案用紙を見ると
大げさに聞こえるかもかしれませんが
自分も生きていて良いと思えました。


テストで良い点を取ることで
まだ心のバランスが取れていました。


しかし中学校にあがると試験で満点が取れなくなりました。苦手教科は90点が取れないこともありました。

中学生の私はたったそれだけで心のバランスが取れなくなりました。試験結果が悪いと、異常なほど落ち込みました。


父の虐待は相変わらず続いていました。

しかし、そんな親でも依存しないと生きていけないし
気付かないふりをして耐えて父との関係を壊さなければ、父は言うことを聞いてくれる
という考えにもなっていました。


何かして欲しいことは母より父の方が聞いてくれました。


思い返すと、母に何かを「欲しい」とねだって
買ってもらえたことは1度もありませんでした。
私の持ち物や身なりへの関心がとても薄い人で


どうしても欲しいものはこちらから伝えて買ってと頼むのですが
学校で要る物以外のものは
すべて「贅沢だ」と取り合って貰えませんでした。


服は着れるものが1着あればいい、という感覚で
サイズが合っていないものや流行を無視したデザインのものでもずっと着ていました。
筆箱は小学校の入学時以来買ってもらわず
自転車も兄のお下がり(体の大きさと合わず乗れなかった)
髪の毛は祖母にタチバサミでおかっぱに切られました(中学生の時は自分で切ってました)


田んぼや畑の手伝いをして、祖母から時々貰えるお小遣いで必要なものを買っていました。

それでも全然足りなくて、
1人戦時中の子みたいに浮いていました。


同級生による、からかいと嘲笑の格好の的でした。


当時、度の合わないフレームの歪んだ眼鏡をずっと使っていた私は
その眼鏡が恥ずかしく、同級生の女子たちがコンタクトレンズを使っているのを見て
どうしても欲しくて、それを父にねだって買ってもらいました。


私は同級生の視線が怖く
「みんなと同じように、女の子らしいアイテムを身につけること」を
喉から手が出るほど欲していました。



夜な夜な部屋にやってくる父の行為を耐えれば
父の機嫌を損なわなければ
それが少しは叶う。


そうすれば、学校で惨めな思いをする程度が多少マシになる
という思考になっていました。


時折父に対して、そして父の行為を受け入れてしまった自分に対して
吐き気をともなう激しい嫌悪感に襲われました。


受け入れたことで父を責め切れない気持ちになり
一層心が不安定になりました。





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