ねこよりまるい | 性虐待サバイバー

性虐待サバイバーの体験記と日常。虐待から10年、元気に生きています。似た経験をされた方、他のことで辛い方、そうでない方とも繋がりたい。できる活動や勉強を少しずつ。

虐待、その後⑥ ~夫の話~

うつになってしまった時に
手を差し伸べてくれる人が現れるかどうかでその後が大きく変わります。

それもタイミングやこちらの状況によっては差し伸べられた手をとれないかもしれません。


幸いにも私は今の夫と出会うことができました。

約5年間、精神的にひどい状態の私を見捨てずにいてくれました。

最初は保護者のような存在でした。


うつの私が安心できた点は

・どんな言動も否定しない
・感情的になることがない
・精神的に安定している
・自分もまじめに生きている

というところでした



小さい頃から親に「○○したい」と言っても
「ダメ」「わがまま」「贅沢」と否定しかされませんでしたが

夫は私がしたいことを最初から否定することなく、むしろ出来る限り叶えようとしてくれました。

おかげで「自分のしたいこと」を彼に対しては言えるようになっていきました。

自傷行動とか本当に駄目なことをしようとしたら怒ってくれました。


普通は誰かに愚痴を聞いてもらおうとすると、相手のキャパシティを考えてしまって全部は話せませんが

彼は私が吐く毒を全部聞いても平気そうにしていました。

よく「私のせいで○○にならないか」「私なんかがそばにいていいのか」と不安になりましたが、その都度安心させようとしてくれました。

私の世話(?)をしながら自分も大学の勉強や就活をしっかりしていて、見ていて安心できました。


私の親との接し方も色々と考えてくれました。


感謝してもしきれないです。

夫を見て、自分がもし元気になれたら、自分も人を支えられる人になりたいと思いました。


そんな支えてくれる人がいても私は何度も病みました。

結局のところ、うつも自分で向き合わないといけない問題です。

夫は病む度に話を聞いてくれました。

死ぬか生きるか迷いに迷った時も、長時間話を聞いてくれました。

そして、生きると決めて少しずつ動き始めた私と、夫婦として一緒に生きようと言ってくれました。


こうして私たちは結婚にむけて動き出すことになりました。


親からはいくつか条件が出されました。

私が働いてある程度お金を貯める、とかだったと思います。


私は地元の隣りの県で寮付きの派遣の仕事をはじめました。

県外に出たのは、親から離れた方が精神的に安定するからでした。

思った通り、地元にいる時より心が不安定にならないですみました。

製造業で、1日11時間立ちっぱなし、夜勤ありの仕事でした。

仕事はキツかったですが会社の食堂も安く使えて、社員さんも優しい人が多かったです。

なにより、結婚してさらに親から離れられると思うと頑張れました。


半年で目標額を貯めることができました。







にほんブログ村